こんにちは。tetsuya(@tetsuya_blulog)です。
毎週月曜日のブロガーに刺さる名言シリーズ。
今回は、戦後日本を代表する芸術家・岡本太郎の言葉です。
「芸術は爆発だ!」でも知られる岡本太郎ですが、数多くの著名人との対談でも非常に多くの名言を残しています。
その中から、特に印象に残った言葉を紹介します。
目次
アンチは反対ではなく挑戦
アンチは反対じゃなくて挑戦だから、自他に対する挑みであり、闘いである。
ところが日本でいう反対というのは、常識を超えたら反対するとか、ご都合によって意地悪したり足を引っ張ることなんだ。
反対のための反対には全く意味がない。
運命と闘う事によって、本当のアンチになる。
反対意見をぶつけてきて人を傷つける事もある「アンチ」は、ネット上では特に忌み嫌われる存在です。
しかしなぜアンチが嫌われるのかと言えば、そこに生産性が無いから。
単に相手が嫌いなだけで、相手を傷つけるためだけのアンチは、岡本太郎に言わせれば「反対のための反対」であると言うこと。
人に流されてイエスしか言わないのと同じくらい、人に歯向かってノーとしか言わないのも無意味なこと。
まずは裸の自分を信じるところからはじめろと言うわけです。
あえてノーと言うことで新たな想像が生まれる
アンチは不毛にすることじゃなく、豊かに想像することなんだ。
みんなが「イエス」という物に対し、あえて「ノー」と言ってみることで新たな視点が生まれる。
本来のアンチとは、このように生産性、創造性を持ったものでなければならない。
だから芸術家岡本太郎は、常に世の名に対するアンチであり、アンチ日本であり続けたわけですが、その姿勢こそが最も日本の発展に貢献するのだと固く信じた人でもありました。
皆と違う価値を発信することがブロガーの役目
個人ブログを伸ばしたいなら、競合サイトと違う「価値」を発信する必要があります。
単に検索結果の情報を集めただけの「まとめ記事」には何の価値もなく、そこに「自分のブログにしか書いていないこと」がなければ、読者に価値を提供することは出来ないわけです。
私の師匠からは、よく「ライバルサイトに書いてないことを書け」と言われていました。
岡本太郎が言う「みんながイエスと言うところでノーと言う」のも、そのひとつなのかも知れません。
そこでは当然衝突が起こるかも知れませんが、その衝突こそが自分を成長させるチャンスなのかも。
挑み、闘うことこそ人間的
異論に対して真っ向から反論し、闘うことで自分の主張も洗練されていく。
闘う、ぶつかる事が最も人間を成長させる事であり、人間的な営みであると岡本太郎は言います。
それは、自然に対しても同じこと。
自然と戦うことこそが自然を愛する心を育むのです。
動物と人間の関係というのは、食べる相手に対して挑み、戦い、そこに生きた存在の絶対的な関係というものがある。それを、人間は取り戻さなきゃいけない。
挑む、闘う、時には打ちのめされる。
これが人間を人間らしくする方法であるという訳ですが、現代文明の中で生きる我々には、自然に帰ることは簡単ではありません。
しかし、命の危機を感じるほどの戦いというのは、実は現代社会の中にもたくさんあることを、岡本太郎は気づいています。
たとえば絵を描いても絶対に人に好かれない、綺麗とも上手いとも思われないで、どうしてメシが食えますか。
猛獣と果し合いをするような素朴な戦いと、対社会でもう消されるのじゃないかという危険と、さてどっちが死に対する恐怖感があるか
一気に、ブロガーにとって親近感のある話になってきました。
ネットビジネスを頑張っても稼げない、アクセスが集まらない、Googleアップデートで飛ばされる。
このような「危険」に挑み、闘うことで人間が洗練されていく。
戦いの中にこそ成長を求めて、今日も頑張っていきましょう!
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