こんにちは。tetsuya(@tetsuya_blulog)です。
毎週月曜の恒例、ブロガーに刺さる名言シリーズ。
第14回は、近代哲学の祖・デカルトの言葉です。
デカルトの膨大な思索をまとめた著作の序章と言われる『方法序説』より、印象に残った言葉を紹介します。
寄せ集めよりも一人の思索に価値がある
書物の学問、少なくともその論拠が蓋然的なだけで何の証明もなく、多くの異なった人々の意見が寄せ集められて、次第にかさを増やしてきたような学問は、一人の良識ある人間が目の前にあることについて自然(生まれながら)になしうる単純な推論ほどには、真理に接近できない。
デカルト『方法序説』より
異なった考えを持つ人々の意見を、寄せ集めてまとめたコンテンツは、時として「集合知」とも呼ばれ、価値のあるものの様に思えます。
しかしデカルトはこれを真っ向から否定し、一人の良識ある人間が、自然になしうる推論の方に価値を見出しているのです。
こう例えられると、確かにそうだと納得できます。
人間は一人ひとり別のもので、他人と完全に同一になることは出来ません。
だからこそ、関わる人数が多ければ多くなるほど、一人ひとりの間の「ズレ」が大きくなっていき、結果的に出来上がるコンテンツの完成度も落ちてしまう。
これでは、真理に接近できないというわけです。
先入観を疑え
デカルトは、多くの人の意見を集めた集合知よりも、たった一人で自然(生まれながら)に導き出した真理の方が優れているとしています。
ここで言う「自然に(生まれながらに)」とは、文字通りの「あるがままに」ではないことに注意が必要です。
デカルトが言う「自然」とは、「既存の先入観に全く侵食されていない状態で」という意味であり、自分の人生の中で信じてきた習慣や常識をすべて取り払った上で、生まれながらに持っていた良識に照らして導き出された真理に価値を置いているのです。
ならば、今まで前例と習慣だけで納得してきたものは、一度全て捨て去って考え直してみなければならない。
結局のところ、一つの価値に対して賛成する人が多いとか、反対する人が多いというだけでは、何ら価値の証明にはなりません。
何故なら、多くの人が共感する価値観にしても、共感の理由は「今までそうだったから」くらいの理由しか無いものも多く、それが真理だとはとても言えません。
また、例え賛成派だけの意見をまとめたとしても、意図するところは一人ひとり微妙にズレており、結果的にまとまりのない集合体に過ぎないからです。
まとめ記事より個人の深い体験談に価値がある
沢山のブログを見ているとよく分かるのは、ツイッターやインスタの投稿をまとめただけで「口コミ集めました」みたいな記事には、本当に価値がないなという事です。
また、個人の口コミだけでなく、ネット上に落ちている論文を拾い集めて「エビデンス集めました」みたいなのも、読んでいて全く面白みがありません。
逆に面白い、役に立ったと思えるのは、ブロガー本人が本当に使い込んだもの、体験したものに対してリアルな感想を書いている記事の方。
何の客観性もなく、完全に主観的な視点で書かれた「体験談」の方が、わざわざGoogleやツイッターで検索してでも「読む価値があった」と感じることが多いです。
ブログ全体で見ても、ライターを外注して記事数だけを増やしたサイトより、管理人一人だけでコツコツ更新しているブログのほうが、次々に読んでしまう事ってありますよね。
そういう「個人ブログの強み」を活かしてこそ、デカルトの言う「真理」に接近出来るのだと思います。
勧めている人が多いから価値があるんじゃない、俺が勧めているから価値があるんだ。
巨大な企業メディアに対して、個人ブロガーが取るべき姿勢は、こういうスタンスじゃないでしょうか。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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